CAGE GALLERY

  • 作者不詳 #3 ブルーシート

    作者不詳 #3 ブルーシート
    企画 原田裕規

    CAGE GALLERYは、830日(金)から美術家・原田裕規による「作者不詳 #3 ブルーシート」を開催致します。

    「作者不詳」は、原田裕規がCAGE GALLERYで企画するシリーズ展。原田は本企画において、撮影者の特定できない写真を用いながら、作者の不在について問いを深めながら展示を行ってきました。

    シリーズ3回目となる本展では、「作者不詳」の写真にまつわる考察は継続しつつも、作家の関心はその周辺へ広がっていきます。廃棄された写真を集める中、写真とともに手元へもたらされた布切れやカメラ、アルバムなどの物品。それを原田は「所有者不明の品々」と呼び、遺留品を記録するような手つきで撮影します。

    ブルーシートの上に置かれたこの「品々」は、多くの鑑賞者にとって取るに足らない対象でも、かつての持ち主にはある物語を象徴していたかもしれません。私たちがこの《Blue Sheet》を見るとき、個々の物が固有の記憶を引き出していたと想像できる一方で、被写体に埋め込まれた意味そのものにはたどり着くことができないでしょう。原田による一連の手続きは、そのような意味や物語、記憶の「作者不詳」を拾い上げ、投げかけるかのようです。

    原田裕規による「作者不詳」シリーズ第三弾、新しい展開をみせる本展を、是非この機会にご覧ください。

     

     

    展示概要

    作者不詳 #3 ブルーシート

    企画 原田裕規

    会期: 2019830日(金) – 11月5日(火) 12月2日(月)※会期延長

    点灯時間: 11:00 – 20:00

    会場: CAGE GALLERY

    ハンドアウト:*ギャラリー向かいのHender Scheme「スキマ」内

     

     

    シリーズ「作者不詳」

    作者不詳 #1(会期2017年8月3日(木)- 10月1日(日))

    作者不詳 #2「掲示/啓示」(会期2018年8月4日(土)- 9月30日(日))

    作者不詳 #3 ブルーシート(会期2019年8月30日(金)- 11月5日(火))

     

     

    原田裕規 Yuki Harada

    1989年 山口県生まれ

    2013年 武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科卒業

    2016年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程先端芸術表現専攻修了

    2017年 文化庁新進芸術家海外研修制度研修員としてニュージャージーに滞在

    2019年 リサーチのためハワイに滞在

    主な展覧会

    個展「写真の壁:Photography Wall」原爆の図 丸木美術館(2019年)

    個展「心霊写真/ニュージャージー」Kanzan Gallery2018年)

    企画「心霊写真展」22:00画廊(2012年)

    企画「ラッセン展」CASHI2012年)

    主な著作

    編著『ラッセンとは何だったのか?──消費とアートを越えた「先」』フィルムアート社(2013年)

     

     

     

     

    波打ち際にて

    文=原田裕規

     

    最近はいつも、想定の外側からやってくる災害のような出来事に対して、意味を与えることを考えている。今年7月には、ここに書くことも憚られるような数々の「事件」も起きた。社会的にも個人的にも、そうした出来事が増えているのを実感している。

    そのひとつが、京都アニメーション放火事件だ。事件の第一報を聞いたとき、ちょうどハワイのホノルルにいた。ハワイ諸島の中でも、とりわけ非日常を求めてやってくる日本人観光客が多数派を占めるこの「テーマパーク」では、そのように想像を上回る凄惨な事件が本当に起きてしまったことを理解するのすら難しいように思えた。

    断続的に日本から流れてくる速報の文面に繰り返し目を通すも、一向に視線は定まらず、スマートフォンの画面の表層を視線が上滑りしては、「非現実」を楽しむ人々の姿へと視線がうつろい、ぼーっとしてしまう。慌てて、煌々と輝くスマホの画像に意識を戻すも、そこに表示される画像の世界こそが「非現実」に思えて、混乱してしまう。

    それ以降、本来目的していたリサーチにも身が入らなくなってしまい、代わりに興味をそそられるようになったのが、かつて日本を逃れるようにこの地に移住した人々の足跡を追うことだった。

    ハワイを歩いていると、実に多くの「足跡」が目に留まる。ホノルルのメインストリートの名前は、カラカウア通り。カラカウアとは、ハワイ王国の第7代国王で、明治14年に来日し、明治政府にとっては初めて日本を訪れた海外国家元首でもある。

    ハワイ出身の彫刻家、KL・ブラウンによってつくられた彼の銅像が、カラカウア通りの端にたてられている。キャプションを読むと、日系人の官約移民開始から100年を記念し、1991年に日系社会によって建立されたものとある。

    そこからさらに深部へと、リサーチを広げることにした。その詳細を記すことはまた別の機会に譲りたいが、最終的にたどり着いた場所が、日系移民たちの墓地だったとだけ、ここでは記しておこう。とりわけ印象に残ったのは、マウイ島で目にした、海岸に打ち捨てられた墓石の数々である。思いがけず出会ったその光景がどうしても忘れられず、現地で知り合ったお寺の住職に取材したところ、明治期に渡航が始められた日系移民の社会も、今では4世、5世と世代交代が進み、仏教の伝統が途絶えつつあるという。それに伴い、代々受け継がれてきた仏壇や墓地が捨てられるケースがあとを絶たず、海岸に打ち捨てられた墓石もその一部とのことだった。

    その話を聞いたとき、日本で起きた「未曾有の出来事」を未だに受け入れることができずにいた自身の似姿が、どこか思い出される気がした。ハワイで生まれ育った日系アメリカ人にとって、とくに日本を訪れたことすらない人々にとっては、日本社会にただよう死生観を想像することは難しいだろう。

    そんな彼らにとって、生まれたときから「すでにそこにあった」仏壇や墓石はどのように見えたのだろう。さらに現在、それらが海岸に打ち捨てられた様子を見て、何を感じるのだろうか。

    この文章の冒頭で、意味を与えることが難しい事柄が世の中に増えていると書いた。それはより具体的な場面においては、たとえば「扱うこと」や「理解すること」が難しい品々にもなりうる。海岸に打ち捨てられた墓石のように。

    ところで、ぼくの手元にもそうした数々の「墓石」が日々打ち寄せられている。一昨年から回収している、廃棄された写真とともに寄せられた「所有者不明の品々」だ。

    たとえば、大量の写真とともに布切れや洋服のタグを譲り受けたことがあった。披露宴や新婚旅行の写真とともに丁寧に小分けされた布切れは、おそらく元の持ち主にとって意味のあるものだったのだろう。しかしその意味を適切に理解し、扱うことは難しい。にもかかわらず、それらを捨てることもどこか憚られてしまう。

    そこで唯一できたことは、そうした品々を記録することだった。「打ち捨てられたこと」「取り扱えないこと」を示すために、まるで警察が遺留品を撮影するように、ブルーシートの上に品々を並べ、真上から機械的に撮影した。

    これらの写真に、どうすれば意味を与えられるだろうか。少なくともできることは、これを作品として再組織化し、新しい名前を与えることだった。そうしてできたこの作品は、人間がつくり上げた社会の波打ち際をいつまでもたゆたい続けている。

     

     

    Yuki Harada《Blue Sheet #6》 2019